陸奥宗光伯の功績

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陸奥宗光伯の功績

陸奥宗光伯の功績で、代表的なものが いわゆる不平等条約の改正です。

陸奥宗光伯が生きた幕末から明治時代は、欧米列強国は彼らの白人種以外 人間扱いしなかった時代です。

有色人種の国々 アジア・アフリカ大陸では、日本国とシャム王国以外は、すべて植民地にされていました。

わが国は幕末の安政5年(1858年)に、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヵ国と結んだ条約をはじめとして、列強15か国から不平等条約を締結され、半植民地化されていたのです。

その条約とは領事裁判権を認め、関税自主権(輸入品にかかる関税を自由にきめる権限)がなく、無条件かつ片務的な最恵国待遇条款を承認することを記した不平等なものでした。

この不平等条約を改正することが、わが国の国家主権を取り戻すという国威をかけたものでした。

当時の日本国にとって、維新以来の悲願であり、明治政府の国是でもあったのです。

明治25年に陸奥宗光は外務大臣に就任し、明治27年(1894年) 7月16日に日英通商航海条約が調印され、この条約により領事裁判権が撤廃されたほか、関税自主権が部分的に回復し、最恵国待遇条款を相互的なものにして「安政の不平等条約」の改正の第一歩がしるされました。

これは、欧米列強国である白人種以外の民族として、初めて彼らと対等の条件を「法」に則って 認めさせた改正条約でした。

それまでの総理、外務大臣が達成できなかった最重要課題である不平等条約改正の成功によって、半植民地状態から陸奥宗光伯が  わが国の「独立自尊」を堂々と世界に認めさせたのです。

そして、陸奥宗光伯は外務大臣就任期間中に、列強と締結した15か国 すべての条約を改正しました。

明治27年 7月16日は、維新以来 開国を唱えてきた日本にとって、欧米列強国と同じスタートラインに立った記念すべき日です。

陸奥宗光伯が成し得た条約がなければ、今の日本はなかったかも知れません。

外務省に「陸奥宗光公像」が建立されている由縁です。

 

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